明けましておめでとうございます。
初めに、ぼくも皆様も素敵な一年を過ごせますよう。


新年早々、多くの方にとって
あまり好んで触れたいトピックでなかろうとは承知の上
斯様な記事を書くに至ったのは、家族団欒の場での雑談による。


筆者がこれから就職活動に臨むに当たり
我が愛しき家族の会話の話題といえば専ら
「どこで何をして働くの?」
である。


あまり楽しく弾む会話を提供できるはずもなく
濁し濁され鍋をつついていたのだが、
父が労災、保険関係の話に触れたことで、少々ややこしくなった。


と言うのもここ数年、鬱病に罹患する可能性について、
マネジメントサイドではなく、若い社員の側から言及する事が増えているらしいのだ。

これを受けて、いよいよ大きな問題になってきた と。


確か、50年以上(だったと記憶)も前に野口晴哉氏が、ガンに代わるものとして鬱病を挙げた。
実際、そうした状態に近づきつつあるのではないかと思う。
ガンに至っては治るケースが着々と増えている。


詳細整理はgoogle先生が任せろと仰るので、
私見だけを乱暴に記すと、コレラ天然痘結核アトピー性皮膚炎、ガンの系譜をなぞる様に
「治せないが、そうと伝えるわけにもいかないので薬Xを処方する」
といった状態なのかなと感じている。


多分にビジネス、経済的な面も孕み、
憶測含め様々な立場、意見があるかと思う。


ただ、そうした小難しい事はさて置き
鬱病(による死)を数多の病魔と同様に、
寿命であるかの様な扱いをするのは如何なものかということである。


甘えだ弱さだ自然淘汰だと、何故言えてしまうのだろう。


問題発言は承知だが
九十歳の癌による死と
未成年の鬱病に起因する死を
同列に受け止めることがぼくにはできない。


参考『鬱病による自殺が減りますように』
 yokichi.com/2009/01/post-180.html