雑記
身の回りの色々なものが、小さく、少しずつ人質に捕られているような感覚が永遠のように続いている。
これは自分の振る舞いや考え方の問題なので謂わば自業自得だ。
お門違いな事で人を責めたりしない程度には自分も成熟した。
誰が私の考え方、感じ方を否定できようか。
同様に
私もまた他者の考え方、感じ方を否定はしない。
これは自分の信念、或いは原則なのかもしれない。
故にこの感覚はこれまでと同様に
時の経過と共に形を変えながらも続いていくのだろう。
まだ見ぬ誰かやよく知る誰かに迷惑をかけることもあるだろうが
先述のようにこれが私にとって信念であり原則であるならば
誰かの為に曲げるようなことは決してないだろう。
仮に命を刈りとる様な事になっても曲げはしないのだろう。
自分は恐らくそういう風に出来ている。
以上の事を踏まえた上でも尚、自分を捨てない(或いは捨てられない)人々がいるとすれば、それはとても幸せなことだと思う。
その人たちが傷つき続けるのはとても辛い。
しかし信念はそれらを踏まえても尚優先する。
最後通告、或いは懺悔か、それとも慟哭か。
或いは他の何かか、そんなようなもの。