雑記、記録

ここ数が月、立場上労働環境や給料
不正やらなんやらと企業に関する
色んなトピックを見聞きする。


就職活動を経て社会に出る というのは
企業を通じて社会やその構成員に対し
それぞれ何らかの形でコミットしていく
ということだと思う。


職を考える上で「やりたいこと」と言ったとき
そこには必ず上記前提が付随する(はず)。


個人としてそれを成していく場合でなければ
即ち某かの組織に所属してコミットしていく場合
組織である以上、通常個々人には妥協が発生する。
(経験的に自明だと思ってる)


それは例えば
高級の対価としての激務であったり
個別具体的遣り甲斐に対して疎外感
或いは
不正の対価としての金や高待遇
なんてこともある様だ。


ともあれその形は人の数だけ可能性がある。


そんで、以上社会と個人の関係って事で
つらつらと述べてきたけれど
もう一つ最重要事項として

何をおいても自分が食って生きていくこと

という根本的な土台がある。

これがあるから
望ましくない妥協(不正に対して金とか)
が起こるということもあるのだろう。
別段生存に支障を来さないけど不正を働く
というケースもあるだろうけど。


ただ、生存か不正か の様な
悲しい二者択一に迫られない為にも
選択肢が多様であることの価値の大きさを
認め、多くの選択肢を獲得する努力を
積み重ねていかなきゃいけないと
考えるわけだ。


動機がこんなに抽象的だと
中々動機として成立しないんだよな。
それは自分の意志薄弱さであったりも
するんだろうけれど。